丁寧な暮らしだとか、なんとか。


そのような言葉は正直嫌いだけれど、確かに、自分の世話をきちんと行う暮らしを送ると、不思議と己や生活空間に清々しさを感じてしまうなという、7月中旬以降の感想です。


7月が始まったかと思えば、もう終わり。

ただひたすら寝込み、好きじゃないから言いたかないけど、所謂丁寧な暮らし(っぽいこと)をしていただけで終わった7月。


信じられませんね。月子です。


コロリーヌに罹患してしまったのは残念すぎる出来事だった半面、ほぼ半月に渡り仕事とこれまでの生活を停止したことによって、6月から悩まされていたリウマチの症状が一部消失・緩和されました。御年70歳の母に「あんた、、、年寄りよりひどいじゃないの」と言わしめるくらい、まじでヨボヨボにしか動けない歩けない状態で中々酷い有様だったのが、気が付けば、普通に動ける歩ける暮らしを取り戻していたという。


あ~よかった。結果オーライ。


そして、自分の世話が行き届いた暮らしは、1日8時間週5勤務なんていう生活サイクルの中では私には無理、且つそもそも自分の身体がそんなに持たないんだなということを分からせられた。何たる副産物。つら。


うう~ん。結局そこに戻ってくるのか、やはり...という気持ち。


さて。

コロリーヌ症状も落ち着いたころ、小説を何作か読みました。

小説にどっぷり読み耽るなんてこと、大層久方ぶり。


今回読んだのは「失われた岬」

(もう1年以上前に、仮想儀礼同様たまに覗く痛快鋭角毒舌ブログで紹介されていて興味をもった作品。ようやっと)


篠田節子さんの作品に触れるのは三作目。まだまだ浅いけれど、好きな作家さんです。


↓↓↓過去の読書感想文↓↓↓


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この作品もまた仮想儀礼に引き続いて、宗教とかスピリチュアルに入っていく人々の話のような、そんな風でありながら、またそれとも違うアプローチというか、とても静かに、けれど不気味に進行していきます。(前半は特に引き込まれてグイグイ読み進められる。非常に面白かった)そして、日本の、世界の、暗すぎる近未来に身震いする。そんな作品。


第一章から九章までの長い物語。

いろいろ感じたことはあった。


第一章の主人公となるのは、とある夫婦。主人公の友人夫婦が不可解な行動を取り始め、その愛娘が主人公夫婦と共に両親の謎を解いていくのが話の大筋。その中で、愛娘が母親と決別する。


身近な人間が、自分には到底理解出来ない道に入って行ったとして。


わたしは、静かに手を振りながら見送ることしかできないなと思う。

「さようなら。お達者で」

だってしょうがない。何を想い何を信じてどのように生きていくかなんて、それぞれの勝手であるし好きにしたらいいと思う。それが肉親であっても。けど、辛いだろうな。やるせないやり切れないだろうなと想像する。悲しいとかいうよりも、腹が立つ方が私は強いかもしれない。

不可解行動に走る母親が娘にもっともらしい講釈を垂れる場面を読んでいる時、意図せず突然脳内に流れてきた曲があった。


ミュージカル テニスの王子様より/歌唱:阿久津仁

「俺に!指図するぅな!!!」


である。

それが脳内に流れながら、続いて思わず口をついて出たのは「黙れボケ」

なんてお下品。口が悪くて申し訳ございません。


ふざけた感想だなと思うのだが、なんだか一番強く残ってる。

やっぱこれくらいのメンタリティで生きていきたいよな~!って。



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なんの話???

ま~た変なところに着地してしまったけど、是非読んでみてもらいたい作品です。(まあ、私は私で割と極端から極端にふれがちな人間だから、深い沼に落ちるときはいとも簡単に、するん!と嵌り沈んでいくんだろうなとも己を予想するけどもね)


これからまた間を置かず次の作品を読み始めるか、まだ少し迷っている。


なぜなら、明日からまた1日7.5時間*週5勤務の毎日が始まるから。


心身共に中々ハードながら、誰かに雇われ言われた事を捌いていればいい気楽さを真に理解してからというもの、日々それなりに淡々と普通に一般社会に紛れた生活を送れていたつもりでそれが出来ている自分に喜びすら感じていたけれども。今回の事でそれが自分にはやっぱり色んな意味でキツいのだと分からせられたことにより、明日からの現実が少し辛く思えてしまう。けれど、キツいったってその現実にどうにか向き合っていかなければならない。


そんな、12日間休んだ挙句の日曜日。

あっという間に、時刻は正午を回りました。


うをぉ~......


おわり。