息をする。

生きていくなかで必要な「息継ぎの仕方」を、ようやっと覚えた感覚のある今日この頃。

切欠があったわけでもなく(占星術に則って話すなら天王星のゴリゴリパワーで)ある日「ああ。わたしはずーっと虚栄・虚勢・意地を張り、それのみで生きてきたんだ。ぜーんぶ嘘だった。微々たるものとは言え積み重ねてきたと感じていた実績は虚ろで実際にはなーんもない。ただ嘘を積み重ねた山でしかなく。それは好きなことさえも。空っぽ。ペラペラに紙より薄っぺらい、なーんにもない人間だったんだわー。そっかー。あーあ。」と自分の空虚さ浅さ薄さに気がついて、ぷつっ......と。糸が切れた。

すべてが嘘と言うより、嘘の中に無理やり真実を織込んで自分を納得させてきたというのが一番近い言い方かと思う。まったく笑えないし普通に涙したし目の前真っ暗頭真っ白になったけど、倒れていては日常が進まないから、まずは嘘をつき続けていた自分を認めて正直に、現実を受け入れる日々を粛々と淡々と送っている。立ち上がるために。

やっていること振る舞いすべての空しさに気がつかず、いかに自分が精一杯力んで背伸びして虚勢を張り強引さだけで生きてきたのか。力技が過ぎるだろ。その様の愚かしさ恥ずかしさたるや......もはや憐れ。すべて塗りつぶしてしまいたい。残念ながらそんなことは不可能。気がついただけよかったのだ。

愚かな自分を認めてしまえたら楽になった。息を吸うってこういうこと?わたしずっと息してなかったんか。身体中の力が抜けて、覇気も存在感も、なんにもなくなってしまったけれど(しょっちゅう道ではね飛ばされてる)いまはこれでいいと思える。もうなんにも気張りたくない。張らない。楽になりたい。裸でいい。多少時間がかかっても、このハリボテは脱ぎ捨て去って、またやり直し。

こうやって胸の内を吐露できているのは、既に心の浮上が始まっている印。

だから大丈夫。未来あれ。

キッツいなぁ、、、と思うこと、例えばそれが占星術的にそう読むことであったとして、この星の巡りは一生に一度いまだけのもの。もう二度とないのだと思ったら、辛さの中にも尊さ愛おしさを、ほんの少しだけ感じられた。(流石に全部が尊く愛おしいとは言わない。しんどいのは嫌。)占いのいいところは、どんな今も必ず過去になり未来に向かって歩くことを教えてくれるところ。

そんなことを思えるようになったのは、永き時を生きる彼等刀剣男士と出会えたからだったりするんだからもう~~~~~~~~~~ずーーーーーーーーーーーーーーーっと刀剣乱舞は愛していきたい。ずっと好きでいたい。好きだよ。ありがとう。(どういうオチ)