存在と暮らす。

エアコンを入れて涼み、部屋は常に適温快適にしておく。少し冷えてきたなと感じれば、エアコンはそのままにタオルケットにくるまって温まる。部屋の明かりを落として焚火のBGMを流しながら眼を瞑り、まるで暖炉の前でまどろんでいるかのような感覚に浸る。贅沢なチグハグを満喫する休日。


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今日は、読了メモ2冊。

◆怖い顔の話:工藤美代子

手持ちの本を読み切ってしまい手持無沙汰で本棚を漁ったら出てきた。そういえば2年ほど前に買って読んだのは覚えているけど読み切っていなかった気がする。たとえ読み切っていたとしても覚えていないから、きっと新鮮な気持ちで読めるだろう。新しい本を買わずとも読書を楽しめるお宝発見に喜んだ。

結論、ダメだった、、、残念。なぜ最後まで読んでいなかったのか分かった。思い出した。これを読む以前に同作者著「なぜノンフィクション作家はお化けが視えるのか」を読んで、それが大変興味深くて面白かったからこの本も嬉々として買った。けれど、なんだかモヤモヤイライラしてしまって読むのを止めたんだった。日常的に遭遇する不思議エピソードが綴られているのだが、そういう存在に対してゆるいというのか何というのか「え?それもっとちゃんと確認しようよ」「いや追及してよ。そうしたら不思議かそうでないかはっきりするでしょ」などなど私には突っ込みどころが満載すぎてなーんか腑に落ちない感じ。ちょいちょい込み上げてくる疑問・不満は「不思議な存在と日常的に触れ合う機会の多い方は慣れていて当たり前すぎてこんな感じなのかもしれない」とその都度逐一自分を宥めた。

しかし、episode全10話中4話目でリタイア。

よく言えば、大らか。だけど、段々とそれがだらしなく感じられ、わざとそういう方向にオチをつけているような、すっとぼけているような印象になりつまらなくなってしまった。徹底追及気質のわたしには、作中のソレを不思議認定するには受け入れ難いこと多々。

いま裏表紙の解説を読んでみたら「飄々とした筆致」とあった。ああ、、、そうね。飄々ね。飄々とも言えるわね、確かにね。そういわれればなるほど納得と言えなくはないかもしれない。言い得て妙だわね。だけど、わたしはあんまり好きじゃなかったな。

まだまだ残り6episodeもある。一切の興味を失ったわけではなく寧ろ気になるし読みたい気持ちは残っているから、ほとぼりが冷めたら頃にまた開いてみるつもり。


◆営繕かるかや怪異譚:小野不由美

GHの感想ツイートに「小野不由美さんのホラー怖いですよね」とリプをくださった方へ「これまで小野不由美さんホラーは残穢以外読んだことなかった」とお返事した。

よくよく思い返してみれば、はて?そうだったか???

全然違いましたわ。コレと鬼談百景、読んでましたわ。しっかり本棚にありましたわ。営繕かるかやは怖面白くて満足した記憶もよみがえってきたし、今でも2巻の文庫化をずっと待ってるんでしたわ。

とは言え、話の記憶は朧気であまり覚えていないから読み返してみた。ああ~...良い。じめっとゾッと。ちょうどいまの季節にぴったりで。雨の日に現れる女の話は何故かよく覚えていて、他の話も少し読んだらすぐに思い出した。それでも楽しめた。満足。あ~もう最高かよ。この本は短編6話。古い家に起こる怪異を何でもない営繕大工の尾端さんが手を入れて状況を整えてゆくお話。話のどれもこれもが怖いけど、それだけでは片付けられない悲しさ辛さがあってじんわり胸が痛む。そんなお話が6話。どれも魅力的。会ってみたいな、尾端さん。

引き続き、その弐の文庫化を心待ちにしつつ、図書館で借りたハードカバー本にて一先ずの楽みを得ている。はあー好き。


ところで。GH然り、これを読みながら改めて思ったけども。視えない人が現れる・怪異と遭遇する描写がとにもかくにもしっかり怖くて毎度すごいなと感動する。特別おどろおどろしく書かれているわけでもなくゴチャゴチャと妙な比喩表現がなされているわけでもない、ただ現れる状況が淡々とそのまま説明されているだけなのに不思議だ。だからなのかな。シンプルイズベストってやつですかしら。

きっと「その時」を迎えると恐怖のスイッチが入るよう、そこに至る前の段階で密やかにガッチリと基礎が築かれ仕込みが施され、導かれているのであろうなと思う。作家さんって、すごいね。