季節も服も、冬は好い。

9月。9月っすなー。

しかしまだまだ暑いですから、秋とは言いづらい。

けれど、決してもう夏ではない。そんな感じで。


個人的には、季節も装いも、ダントツ秋冬が好きなので、はよ寒くなれと最近は毎日思ってます。今日はほんとのほんとに雑談です。こんにちは、月子です。


秋冬物のちょっと良いお買い物ができたことによる気持ちの高ぶりで、このブログを書いてます。まだまだ着用できないウズウズを、書いて発散です。


装いとほんの少しダイエットのお話。


好きな季節、好きな装い

先にも述べましたが、装いは秋冬が好き。(これは何度も言っている気がする)色味と生地と、「寒い寒い」とマフラーに首を埋めたりする、寒さによる所作(それを見る)...などなどいろいろ、全部ひっくるめて好き。冬は好い。もうすでに、木枯らしが待ち遠しい。


春夏も軽やか華やかで見るのは好きですが、イマイチ自分にはしっくりこない気がして、春夏服はあまりテンションが上がりません。それに、どんなにお気に入りを買っても、翌年には似合わなくなっている率が高いのも盛り上がらない理由の一つ。


あと、重ねて盛るのが好きだから(自分も盛れるし)、薄着で盛れない(自分も盛れない)のがつまらないのかもしれません。笑


そもそも、露出するでなくても素肌を出すことになるのが億劫で、全然気分が乗らない。だから「もう適当でいいや」「これでいいや」という気持ちで過ごしています。


昔ほどファッションに対する興味も拘りもありません。薄れました。お金もかけませんし、まずよっぽどでないと購入しなくなりました。(まあ元々大量買いするタイプでなく、これ!という品を多少高くても購入し10年を超えて着用愛用するタイプなだけなんですけど)


なのに、やっぱり「これがいい」でなく「これでいい」というマインドが続くと、どうやら心が萎んでいくらしいことに気がついた今日この頃です。久しぶりにSATCを観て「あ~やっぱり好きな服着るのいいよね~元気出る~」と感じまして、それで「あ、わたしやっぱり好きなんだな~」という再確認がなされました。(令和になってもSATCってのもねぇ...と何とも言えない気持ちになりつつ、令和だからあのパワフルさが狂おしく想えるのかもしれない)


私にとって装いは心を鼓舞する鎧(戦闘服)でもあるようで、結構重要度が高い要素な模様。ファッション云々を抜きにしても、身に着けるもの身の回りに置くものというのは、自分が良しとしたもので構築する事が、いろいろ大切なのかなと思ったりしました。



中年になって広がった買い物の楽しみと哀しみ

つい数年前までは古着は絶対NGでしたが、とあることをきっかけにメルカリを初利用。それ以降は古着もあまり抵抗なく利用できるようになりました。

古着もOKとなってからは、買い物の幅がより広がって更に楽しい。宝探しのようで夢中になる時も稀にあります。(当たりを引いた時は「やったぜ」な気持ちになりとても嬉しく幸福度高まる気がする。あまりにも庶民的楽しみすぎて笑っちゃうけども)


古着、ダメな人はダメですよね。わかります。

わたしも知らない人の肌に触れたものを身に着けるなんてとかなり抵抗がありましたが、最近は少し考え方感じ方が変わってきました。


あまりお金はかけられないけど、気に入ったものが欲しいと思った時の妥当な選択肢として、安店で宝探し(所謂しまパト的な)をするよりも、古着で宝探しをする方が悪くないんじゃないかというのが最近の心情です。


昨今の洋服は安さ手軽さに振り切れすぎているせいなのかなんなのか、安いお店だからそういう客層なだけなのかわかりませんけど、とにかくお客側の取り扱いが乱暴乱雑すぎて(そして売る側もそれをもはや気にしてない)新品なのに既にボロボロで陳列されているのを見かけます。そうなってしまったものは売り物になりませんから、きっと破棄されるのでしょうね。売上としてはマイナスでも、そうなることも想定の範囲内なんだと思います。


ある時、あまりに大事にされてなさすぎる現場に遭遇し、安けりゃなんでもどうでもいいんか?!洋服が可哀そうだよと心の底から悲しくなって、買い物を中断したことがありました。


古着の方が、よっぽど大切にされてるんじゃないのかと思う今日この頃です。

それは、自分が古着を出品する側になって特に感じます。


売り物にするために、買ってもらうために、ケアをしたり施しをいれたり、自分の手では捨てられないから(思い入れや気持ち的なことで)誰かに貰って欲しいなど、目的がお金でも罪悪感でも、なんにせよ、まだそこには物に対する心があるような気がしました。(大袈裟かw)


だから最近は、下手な安店で不愉快な思いをするくらいなら、丁寧に扱われていた(であろうと推測される)古着を扱うお店等を、より利用したいかもしれない、という気持ちが芽生えています。単純に、安くて良いものに出会えることは多々ありますしね。


百貨店やそのようなお店に行けば、それはそれは気持ちよくお買い物もできるのでしょうが、最近は洋服が高すぎて(昔より値は上がり質は落ちた)プロパーではとても手を出す気になれません。


昔の品を改めて見ると、本当に出来が違い過ぎて驚きます。生地も縫製も、ボタン一つに至るまで。なにもかも綺麗。(まず、オールウエストゴム仕様をやめろ。あれほんとに手抜き以外の何者でもないとしか思えないんですよ昔から。ベルト芯入れてファスナーとホックをちゃんとつけてくれよと言いたい。)


上質を手に入れたい時に一つの選択肢として、古着という扉が開いたのは、自分にとっては革命的で、大変世界が広がりました。


なんか、想定していた以上に熱くなってしまった上に、何を言っているのかわからなくなってきたので、おわりますw



▼ダイエットはしない主義

好きな洋服を着たいから、それなりに体系維持が必要なわたしです。

ずっと好きなものを着用愛用していくには致し方のないことなので、なんとなーくながら、体系維持は心掛けています。残念なことに、元々そんなに痩せ体系でないどころかずんぐりむっくり体系だし、痩せやすくもない、食べれば普通に太るぽっちゃり人間です。シンプルに言って、スタイル悪い低身長。なのに、わたしはダイエットが出来ない。


そう、「しない」んじゃなくて「できない」。徹底した食事制限や気合入れて運動・筋トレとか、とにかく無理。長続きしない、できない。


だから、痩せることに拘るより、とにかく現状維持。

この徹底を心がけるようにしたら、なかなか結構よかった。


というわけで、いつからか「ダイエットはしない主義」になったというお話。

そのモチベーションを保つためにやっていることが2つ。


●服を買うときは「これはもう1mmも太れないな」と思うサイズを選ぶ。

●「あともう少しここの肉が落ちれば、綺麗に着られるのに(ラインとか)」という

服(サイズ)を買う


数年前からこれを徹底しているのですが、割と良い成果が得られている気がしています。すぐに身体の変化がわかるから、「あ!」と思ったらすぐに調整することが出来る。ジムに通ったりなんだり色々やってみたこともありましたけど、結論、無理に痩せを目指すより現状維持。


そんなところに落ち着いて、さて今年で40歳です。

ここからは、流石に贅肉の付き方や身体の変化が起こりそうな気がしていて(もうすでに腰回りが怪しい)、もっと負荷を高めたやり方、バージョンアップを図らないといけないなと思っているところです。


はてさて。

今年の冬も、これまでのお気に入りを着用愛用できますかしら。わたしの身体は。


そんなこんな。

以上、念願のアイテムをゲットできた高ぶりに任せた由無事でした。


おわり。

月子