すべてなくなる。
1月最終週末、そして2月最初の週末辺り。
祖母の3回忌法要で、方々より親戚皆々様が集まり、無事終了。
長崎での暮らしに、少々息苦しさというか、何とも言えない閉塞感が生じ始めているかもしれないし別にそんなことはない気もするんだけれど、とにもかくにもなんだかしんどいかもしれないみたいな気配がうっすらと立ち込めていた私の心境に、県外の人々の登場が風通しになってくれたようで、よい機会だったなと思った。
もしかして、実は私、この土地の人間があんまり好きじゃないんじゃないか?という、最近の疑惑。
こんにちは、月子です。
これだけの人間が一堂に会することはもう無いだろうと、不謹慎かなと思いつつ、お寺様にお伺いするとOK!OK!とのことだったので、皆にお声がけをして集合写真を撮った。(一回忌が終わった後に残った皆の後悔だったから、ここで回収できて良かった)
出来上がった写真を見たり、まだまだ終わらない遺品整理をしたり、親族に纏わるいろいろをやっていると、この人と会うのはこれが最後になるかも、とか、あと何回会えるんだろうとか、そういう風に思う瞬間が何度かあった。
なんだか、自分の死を想うのは勿論のこと、一人また一人と旅立ってゆく人もこれからポツポツを増えてくるんだろうと想像すると、確かにこれは淋しいものだなと感じ入る。生きて死ぬだけとは言うものの、それにしては人間はいろいろと複雑すぎるじゃろ~とも思う。
見慣れた風景はどんどんと変わりゆき、古き良きお店は無くなり、マンションが乱立していゆく街並みをみるたびに、切のうて切のうて、、、新しい物事に一切の興味が湧かず、失われてゆくものにばかり目が行き、心が反応してしまう。
いろんな終わりを意識すること、そんな機会が多くなってきたからか、大人の階段を、確実に、一段ずつ下りていっていることを、ふいに強く実感する瞬間が最近はあるなぁと思う今日この頃。
そんな毎日です。
月子
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