そしてまたゼロ地点。
占い、好きですか。
占い、楽しんでますか。
占い、利用活用してますか。
何よりな事でございます。
少々ご無沙汰。占い記事は一体いつ振り。
どうもこんにちは。月子です。
占い、ね。
私はと言えば、占いから暫く遠ざかり、というか距離を置いておりました。
特に明確な切っ掛けになるような何事かがあったわけでもなく、本当に特段何にもなかったのですが。
いつからか、自分の日常にとってなんだかとても煩わしいようなノイズのような存在に感ぜられてきて、なおも強く言ってしまえば、正直邪魔だなと感じてしまうまでになってしまい、あ~これはダメだ一旦離れようと決めまして。
完全なる拒絶に至る前に離れないと戻れなくなる、そしてそうはなりたくはない想いがあったから。(何某かテーマがある上でカードをめくることはまた別という感覚だったので、それについては極偶にだけどやってはいた。けれど頻度は格段に落ちた)
今日がどんな一日になるだとか、何事に気を付けたらよいだとか、なんとかかんとか、そういうの。
自分に集中していれば、自分に聞けば、自ずと分かるでしょうに。
っていう身も蓋もない気持ちが沸々と。
意識的にそのように取り組もう!などと志高く(笑)考えてやり始めたつもりは一切なく。
元来、好きだのなんだの嫌だのなんだの感情に振り回されがちな人間のため、出来るだけ感情や雑念に呑み込まれないように過ごすことを心がけていたら、朝起きて(生まれて)眠りにつく(死ぬ)サイクルを一日一日(多分良い意味で)淡々と生きられるようになり。
そうすると、なんとなく自分に集中する習慣がついたというか。
自分で自分を動かす?操縦する?よう努める日々を送っていると、いつしか自分自身に上手くライドしている感覚が生まれるようになり、ある時から、自分の体調・好不調・今どうすべきか等々は、自分で自分に確認すれば何をどうすれば良いかなんて分かるよな~という考えに至りまして。
その感覚と、占いによる日々の指し示しのような情報が衝突してしまい、その状態を上手く処理しきれずストレスになったのかなと推察。(それから、面識等が無い方々が発信される「12星座別、○○したら(させたら)ランキング!笑」みたいなツイートとか、単なるエンタメ的なこと(表現)と頭では理解できるんだけど、どうしてか物凄く不快に思えて心が受け入れられなかったりしたデスね)
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この頃のこれはまさにその前触れか、はたまた自覚無くして既に渦中だったのかは不明だけれど、片鱗が現れているなと客観的に今更思う。
ジリジリしてた事が今日とりあえず軟着陸してスカーッとした。どうやら私は停滞している時こそ占いを遠ざけたい遠ざかりたくなるらしい。「知ることで揺らいだら困る」という心の弱さと「自分の事は自分で決める邪魔すんな」という我の強さにびっくりしてる。勿論ケースバイケースなんだけども。
— 月子のあな。 (@Tsukikopion) January 13, 2023
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そんなわけで、ここ暫くは出来得る限り占いの情報をシャットアウトし、私は私と共に過ごしてきました。
結果。
「占いって、いらないじゃん」との結論に辿り着いてしまった、とある日。
という流れを経て、さて現在。
そう、占いマインド(?)の漂流はまだ続きます。
またしても、とある日。
「占いなんていらない」と思える考える事ができたのは、占いを少々学び占いを少々知っているから、なのでは...???
などという、自分なりの確信と思しき種がぼんやりと発芽
占いそのものを知っているからというよりは、占いを学んだ過程で得られた知識や生き方考え方(まだまだ多くはない鑑定経験含む)、それらすべてがあったからこそ、私はいまそう考えられているのだ!?!?!?
という再びの思い至り。思い至りの二段構え(?)
なんていう考えが、なんでもない日の午後。会社で書類のコピーを取っている最中、突然頭に降って?湧いて?来た。
ふんわりながら、「はは~ん、これ...さては一周したな?」と。
ようやく新たな岸辺に漂着したか...?と。
そして、それらの気持ちを確信(?)へと導く追い風が吹きました。
母上の御病気発覚。今現在は入院手術を終えて一旦退院しているけれど、今後どうなるかは中々どうして分からないという感じ。だから、いつ何時どんなお別れがきてもいいように、悔いなく日々を過ごすのみ。彼女も、私も。(勿論、案外長生きする可能性もある)
病気発覚・手術となったとき。
不謹慎ながら、身体中を駆け巡った「お~......占い...........おぉ...ウヲォ...」の気持ち。
というのも。
昨年夏、自分でもよく分からない幽体離脱のような感覚のなか決行した帰郷は、自分のチャートが決め手でした。
N月にT冥王星と天王星(特に気になったのは天王星)がびったり絡むチャートを見た瞬間、直感的に浮かんだのは「切り離し」の言葉。きっと2、3年の内に母との関係性や暮らしそのもの、とにもかくにも自身の深い所に関わる何らかの大きな変化があるのでは(最悪死別)と胸中ザワザワ。流石に死別は飛躍しすぎ感あった気もしなくもないけれど。
となると、母とのどうこう以上に重要になってくるのが、長年ずーっと心の奥で気になりながら見て見ぬふりをしてきた実家親族界隈の問題課題たち。解体すべき廃屋(荷物まだ残ってる)の存在、荷物屋敷になっている実家、他諸々。それらの解消。
今から取り掛かっておいた方が、というか取り掛かっておかないと。
いやもう取り掛かっておきたい。数年後、未来の私のために。
そうして帰郷し1年超。
廃屋の解体手配まで済んだ!お疲れ!って直後に病気発覚手術の展開。
あまりにも、あまりにも。
想定より少々早かったけれど、その大ビンゴっぷりに悲喜こもごもグチャグチャと、非常に奇妙な気持ちに心揉まれ、と同時に、漂流の終わりを感じました。新たな占い大陸(もっと小さい島かもしれない)への漂着。
また一つ、これまでと違う景色を眺めながらで、占いと触れ合えそうです。
どうもこんにちは。
次回、【告知】です。
近日中に、モニター様(若干名)の募集をいたします。
その時には、ご協力のほど賜れますと幸甚に存じます。
何卒よろしくお願い申し上げます。
月子
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以下、余談。
占いの勉強を始めた初期の頃にお邪魔していた西洋占星術のWSがありまして。そのWSでお世話になった先生が「占いをやっていると人生を先取りできるようになる」的な事をよく仰っていました。
当時は何を言っているのやらさーーーーーーーっぱり意味が分からなかったのですが(苦笑)、今回の流れから薄らと「こういうこと???」と、今更ようやく分かったような気がしています。(とか言って、全然違うかもしれない)
↓↓↓振り返り的関連ブログと動画↓↓↓
記事には、タロットの結果を無視して箱根旅行を強行しようとするも思い砕かれ(笑)帰郷へと向かう心境を綴っておりました。そして最後に貼り付けている動画。この頃はまだ帰郷を現実的に考えていなかった。であるのに、記事内に自分でも書いている通り、14:32辺りで無自覚にも帰郷の兆しをどこか察している様子が伺える。
この動画の1か月後、2月上旬に祖母が亡くなり一旦帰省。東京に戻ってきてまだ頭はボンヤリしているにも関わらず、身体は謎に勝手に帰郷するつもりになり、自分の意思とは裏腹に口が勝手に会社へ退職を申し出て、そのまま3月に退職したという。頭より先に身体が行動していた不可思議な感覚だった。
そして、今年の7月終わりから8月にかけてあたり。
窓から見える木々と海の風景を眺めながら朝食をとっている時。ふいに何故か「なんか、わたし来年の今頃はこの部屋にはいない?住んでない?気がする...?」と感じるなどしており...う~む......
そこへきて、此度の母上&生活色々の変化です。
またあの時のように、静かにザワザワしている晩夏初秋の今日この頃。
このなんともいえない、自分の考え計画思惑色々あれど、それ虚しく、まったくの無関係にそうなってしまう可能性、未来の感覚みたいなこと。
「人生の先取り」って、こういうこと???と思ったりしているのですが、違いますかね。
ぜーーーーーーーーんぜん違うかもしれないから、ちょっとそのWSについての詳細や先生のお名前は伏せますね。苦笑
確信が持てないし今やご本人に確認することも容易に出来ないし、いらぬ風評被害が発生してもマズいので。
違っていたらごめんなさい。
以上、おわり!
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