その一言。あの一言。
三が日、明けました。
皆さんは、どんなお正月を過ごしましたか?
わたしは、大晦日夜遅くに帰宅し帰宅道中にあった「なか卯」で年越しそばを食べ、年越しを部屋で静かに迎え、あけおめ!したと同時に満足したのか、そのあと寝て起きたら普通の日常にモードに切り替わりました。
今年は、これまでと同じようでは未来がないと自分に対して思っているので、どうしていったらよいか、これからの自分に必要なことはなにか、それを得るためにどうすればよいか、そんなことに思考を巡らせ、出来ることには少しずつ手をつけていきながら、いまを過ごしております。
さて。
年末に友人と自宅近くの中華料理屋で食事をしました。新年早々去年の話で恐縮ですが、その時に友人から言われた言葉に、驚き感動したので書きとめておきたいと思います。
その友人とは、いつの間にか20年近い付き合いになっていました。途中空白期間はありましたが、多感な時期に知り合い、地方出身者同士、東京という大都会で長年それぞれにやりたい事をやりたいようにやりながらなんとか生きてきて、タイプも生き方も考え方も趣味も違う者同士ながら、それがとても刺激になる、わたしはリスペクトもしている、ありがたい良き友人です。この日も様々なことを語り合い、その別れ際のことでした。
友人に「あなたは私にとってメンターのような存在。ここに来るときは、何か答えが見つかるかもしれないと思いながら来ている所がある。」と言われて、心底驚いたのでした。まさか、そんな風に思われているなんて露ほども思っていなかった。そして素直に嬉しかった。わたしは、問われればその問いに対して自分なりに考えて出した言葉を向ける。それが僅かにでも友人にとって役に立っていたのであれば、こんなに嬉しいことはありません。わたしの性質上、時には問われてもいないのにアレコレ物申して、鬱陶しいこともたくさん言っていたであろうに。
なにより、このように気持ちを面と向かってストレートに伝えることの出来る友人を、
改めて心から尊敬しました。
誰にとっても同じことが言えますが、向けた言葉が、良くも悪くも、相手にとって少なからず影響を及ぼすものになり得るということを、特に強く実感した出来事でした。「良かれと思って」が、良からぬものとして渡ってしまうこともあるでしょうけれど。人と人とは難しいから。
この出来事から、一つ思い出した友人の言葉があります。(別の友人です)
「一回でも出来たことは、また出来るし、必ず出来るようになるよ!」
これは、高校時代の友人が掛けてくれた言葉です。
今思えば「何を突然?何言ってんだ?何やってんだ?」案件なのですが、その当時、とにかくバク転が出来るようになりたかったわたしは、中学時代に器械体操部だった子を捕まえて毎日バク転を教えてもらっていました。それまで運動なんて興味もない好きでもない一つもやってきたことがなかった人間が、そう簡単に出来るようになるわけもなく。バク転の前に「これをまずやってみよう」という技を教えてもらい、それを練習していました。その技すら、何度も何度も練習しましたが全く出来ませんでした。
しかしある時、一度だけ、成功したのです。本当に急に。突然に。
それまでの練習と同じように、身体をブンッ!!!と振りかぶったら、急に成功したのです。びっくりして何が起こったのかよくわからなくて「、、、あれ????、、、で、できた?!あれ?!?!?!、、、できてる!!!(驚愕)」というあの感覚は、今でも思い起こせます。
結局、その後何度もトライしたのですがスムーズに出来たのはその一度だけ。「できたのに!!なぜ!!!」と悔しがるわたしに、友人は前述した言葉を掛けてくれたのでした。
この「あの時は出来たのに!なぜ今はあの時と同じように出来ないの?!」ということ、結構あります。占いをやっていて同じように思うこと、あります。それで落ち込んだり焦りを感じたり投げ出したくなったりします。そんな時には、いま思い出したこの言葉が、自分を助けてくれると思いました。
友人曰く「自分は覚えていなくても、身体は覚えているから」だそうです。
過去に、鑑定ではないけれど占いに関わることで、この【奇跡のような一回体験】があり、これまで「あれは奇跡の一回まぐれ体験」として、ずっと棚上げしていたのですが、今年はその部分にスポットを当てて強化していこうと考えています。それが、鑑定でも力になってくれるはず。そう信じて、素直に真摯に取り組んでいく所存です。
とにかく今は静養第一なので、一人静かに過ごした大晦日お正月。(明日はライブに行くけれど。)何気なく掛けてくれた友人の一言が自分の足元にある道を照らしてくれた、少しずつその道を歩み進めて行こう、そんな風に思いながら迎えた新年でございます。
2020年 令和2年 今年もよろしくお願い申し上げます。
柳 月子
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