此処ではない何処かで知らない誰かと過ごす時。

11月7日に、2019年に入って3度目の京都旅行へ行って参りました。

11月2日~10日の間だけ『建勲神社(御祭神:織田信長公)』で公開される、

短刀『薬研藤四郎(再現刀)』を見るための日帰り旅行。

※薬研藤四郎は、織田信長所縁の刀。本能寺の変で焼失したとされている。


昨年同じくらいの頃に初公開がなされていたのですが、生憎その頃の私は刀を知る切欠となる世界(刀剣乱舞)と出会っていませんでした。私が出会ったのは2019年1月。後々になって薬研が公開されていた事を知り「出会うのが遅かった。とっても残念。けれどそれも致し方無し。縁があればまたきっと」と思っておりました。

↓↓↓ 昨年公開された時の模様 ↓↓↓

藤安将平刀匠講話  - 建勲神社

平成30年7月1日、織田信長公愛用の短刀”薬研藤四郎”再現刀(藤安将平作)を信長公の家臣有縁の方よりご奉納いただき、同年10月19日の船岡大祭にて展示後、10月28日までの10日間にわたり貴賓館にて公開しました(建勲神社写真集”薬研藤四郎”再現刀の奉納及び公開(平成30年)へ)。  公開期間中は、藤安将平刀匠より、薬研藤四郎及び日本刀全般についての講話が1日3回(初日は2回)行われ、多くの参拝客で境内が賑わいました。  藤安将平刀匠による計29回の講話のうち数回分の講話について、録音を元に一つにまとめ、藤安刀匠に加筆修正いただいたものを以下に掲載します。  1 薬研藤四郎の再現   2 本来、刀とは何か   3 刀への向き合い方   4 本質を見失った日本刀   5 ゆがんだ方向に来ている戦後の日本   6 日本刀を正しい形で次世代に伝えるために   ※ 日本刀と私 (講話の合間に、藤安刀匠が語ったエピソードをまとめました。)  今回いろいろなご縁がありまして、織田信長公をお祀りしている京都の建勲神社に薬研藤四郎を再現したものを奉納したいという、そういう奇特な方のご意志に沿って短刀を作りました。  薬研藤四郎は、鎌倉時代の山城国粟田口派の刀工「吉光」の作です。吉光が作った刀は、吉光の俗名が藤四郎であったことから藤四郎と呼ばれますが、この短刀は、持ち主であった畠山政長が、敗戦の際に切腹しようとしたものの腹に刺さらず、投げ捨てたところ、近くにあった薬研(薬を粉末状にする器具)を深々と貫いたことから薬研藤四郎と呼ばれるようになったといいます。その後、薬研藤四郎は、足利将軍家を経て、松永弾正より信長公へ献上され、信長公の愛刀として大切にされましたが、本能寺の変の際に火災にあい、信長公とともに命を終えています。本能寺の変の後、再刃(さいは)・焼直(やきなおし)といって、もう一度焼き入れをされたという記録はありますが、その後行方不明になり、今は見ることができません。ひょっとしたら、どこかで発見される望みがないことはないのですが、今のところ見つかっておりません。 <古刀の再現>  現存しない刀なので、どういうふ

kenkun-jinja.org


すると、今年も公開されるとのニュースが!しかも、公開開始日がわたしの誕生日。

これは天からの贈り物でござる!行く!必ず!という想いで、旅費を貯めました(笑)

朝9時。京都に到着し、そのまま目的地へまっしぐら。

どどーん。ここから少々傾斜キツめの階段をゆきますが、それもまた良い運動ですな。

手を合わせてご挨拶を済ませたら、いよいよご対面。名前/存在を知っている刀の実物を初めて見るこの瞬間は、いつも緊張します。なぜなら、刀に限らず、初めて何かを見たり聞いたり感じたりした瞬間に抱く印象を大切にしているから。その時その瞬間に自分が何を思うのか、我が事なのに他人事のような立ち位置から、物凄く気になるんですよね、自分の心の動きが。とても緊張集中する瞬間です。


さて。薬研藤四郎ですが、撮影もSNS掲載もNGだと勝手に思っていたら全てOKどころか手持ちのグッズとの撮影すら許されていて、その寛大さに驚愕。それならばと、連れてきていたねんどろ薬研と撮ってはみたものの、手が震えてぶれぶれブレまくりの残念写真しか撮れませんでした。ほんとショボい、わたし(笑)

これが、薬研藤四郎(再現刀)...。

正直、何を思ったのかも感じたのかも何もわからなかった。(え?w

とにかく、感嘆するばかり。Twitterでも呟いた通り、とても不思議な印象だったのです。

これまで、刀を見た時は「ツン!」「ピン!」というような緊張を感じる事が多かったのですが、薬研をこの斜め角度から見た時、一番に感じた思ったのは「まろい......」でした。なんて滑らかなんだろうと。優しい刀だなと。緊張感より穏やかさ。線で例えるなら、直線より曲線。想定していなかったまろやかな印象に驚いて、思わず「わっ...!」と小さく声が出てしまったくらいです。意外でした。本当に。まあ、翌々考えれば、作られてから時間の経過も浅いし実際に武器として使われ血肉を切ったわけでもない、純粋無垢状態。ならば、抱いた印象感想としては、そう意外でもないのかもしれません。


この日は、この刀を打った刀匠が拝観者に向けてお話をしてくださいました。

刀の存続が危うくなっていること、消えゆく職人の方々。このままでは......という現実。

(※この辺りのお話は、先にリンクを貼った昨年の内容にも書かれています。

是非お目通しくださいませ......)


自分に、何か出来る事はあるんだろうか。色々と考えさせられました。


そう憂う心の裏側で。

きっと、これまでの歴史の中でも同じように伝統・文化・技術等を絶やさぬためにと尽力した人が大勢いて、けれどそれは叶わぬまま時は流れて現在に至り、いま生きている人間の誰も知らない事があったりするんだろう。そして、そうして消えていった物事は少なくはないんだろう。非常に残念で寂しい悲しい。こんなに切ない事はない。致し方無しでは片付けられない。けれども、それもまた......などと思ったりしてしまった。諸行無常......。


今年2月、初めて刀剣乱舞を発端として行った京都旅行でも同じような事を思いました。

養源院というお寺で貴重な襖絵を見ながら聴いた「どんなに素晴らしいものでも、出来うる限りの手を尽くしても、永遠に在る事は無い。」というお話。私はこれを聞いたとき、どんなに素晴らしい物も人も、この”世界”というよくわからない大きな何かの中にある超超超小さい僅かな存在でしかなく、皆等しく生まれて死ぬだけ。なんと!大河の一滴とはこのことか!ははー!さすれば今を存分に生きるしかない!などと、意識が謎展開を起こし(笑)その無常さ切なさに涙が流れ、感動に心震わせながら、突然にそんな殊勝な事を思った自分に驚いて(笑)、その時、目の前が、パーーーー!っと開けたような明るくなったような、そんな感覚に包まれたのでした。


刀剣乱舞の舞台は2205年ですが、その頃には人類が、もはや地球すらどうなっているのか、不明、危ういであろうと思います。あまりに遠い未来の事はさっぱりピンときませんが、近かろうが遠かろうが、同じ。未来が単体でポンっと唐突に存在しているのではなく、未来は今の数珠繋ぎであり、その未来に繋がる今を懸命に生きる、という事に、変わりはないのですよね。


『未来を信じて今を生きる』

2月の京都旅行も今回も、図らずして同じテーマに直面する旅だったように思います。


嗚呼。話しが、薬研の話から全く明後日の方向に着地してしまった。苦笑

旅の続きはまだありますが、今日のところはこの辺にしておきましょう。

蠍のひとさし