「おもい描く力」と「読了めも」
「おもい描く力」について繋がったというか、そういうことか!と、勝手に自分のなかで急に腑に落ちたことが最近あったのでメモ。
近頃Twitterでもこのブログでも喧しく騒いでいるゲーム「ツイステッドワンダーランド(通称ツイステ)」内で「魔法で薔薇を赤く塗る」ミッションがあり、魔法を上手く扱えない魔法学校の1年生に上級生が魔法をかけるコツとして「頭の中で具体的に赤い薔薇を思い浮かべてから魔法をかけるといいよ」とアドバイスする一コマがあった。このシーンを見たとき以前にもどこかで似たようなことを聞いた記憶が頭を過り、、、思い出した。とある霊的な存在が視えるという和尚さんが受けた「どうやったら視えるのですか?どういう人が視えるようになりやすいのですか?」との質問への回答がそっくりほぼ同じだったのだ。その和尚さんは「イマジネーション能力の高い人。例えば、林檎なら色形はもちろんもっと細かいディテール果ては味までも、とにかく対象物を詳細にイメージできる人」的なことを言っておられた。その話を聞いたのは結構前のことでわたしはそのとき全くピンとこず頭上に「?」だったのだけど、、、ツイステの一コマで「あ、そういうことか!」とスルッと理解。ついでに、ゴーストハント3巻でも「スプーン曲げ」についてあれこれと言及されるなかで「できるかできないかはイメージの問題。曲がるものであることを大前提としてスプーンを曲げるイメージができるか」という話があって、これも同じことじゃないかと一気につながりスッキリした。
信じるとか信じないとか、そんなことじゃないのがいい、面白い。
いかに思い描くか。思い描けるか。
これから読了メモとして綴る二冊にもそんな話に通ずるものがあったとわたしは感じている。未来を思い描きたいならばそれ以上に自分自身を思い描けなければいけないし、占いには「質問力」が大切と言われるけど、その質問を立てるには「自分が何を知りたくて何を求めているのか」をわかっていないと活用は難しい。
自分のことに限らず、さまざまな解像度は積極的に上げておくに越したことはないし思考能力ってのは何事においても重要なのですね。
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◆パワー・オブ・ザ・ソウル:ジョン・ホランド
わたしにとっては良書。己を見失いそうなときにはまたこの本を開きたいと思う。
それが率直な感想。
350ページに渡っていろいろ書かれているけれど、わたしが読み取ったメッセージは一つだけ。自分に集中しなさい、自分の声をよく訊きなさい、自分を理解しなさい、、、とにかく「自分とは」「貴方は貴方を生きるために貴方自身のことをを知っているか。知らなければ知るのだ。」己から目をそらすなと、あれこれ手を変え品を変え表現を変えながら何度も何度も何度も何度も問うてくる、そんな本だった。
書いてあるとおり素直に突き詰めて考えてみた。どうなりたい?どうしたい?なぜそうしたい?幸せとは?なぜそれが幸せ?幸せを感じるためになにをする?なにがほしい?そのためにどうしたらいい?ほか無限に。思い巡らすだけでなく紙に書きだすなどしながら、時・場所を選ばず何かしら思いが浮かんだら可能な限りメモに残し、とにかく追求してみた。現実的なことも非現実的なことも全部。汚い欲求もごまかさずに。結果的に、ひたすら自分と向き合ったことになるのだろうと思う。読み始めは「は?w」と感じていたような気もするけれど、ちょうど自分に色々と山ほどの思う所もあって素直に問いを実行してみたら、それが案外フィットしてよかったと感じているのだと思われる。
本の中にはパターン別瞑想エクササイズ法も多数書かれている。すまんがわたしは殆どやっていない。1、2回はやってみたかな。とりあえず話の先を読みたいし瞑想は朝と電車を待っている間に行うようにしているから今はそれでいいでしょってことにして(なんたる怠慢)瞑想エクササイズのセクションは飛ばし気味で読み進めてしまったが、きっとやるとなお良いのだと思うから瞑想に興味がある人は読んでみるといいかもしれない。それから、この手の本や作品にはお決まりであろう「なんらかの奇跡的エピソード」も度々盛り込まれている。その辺りについて「ハイハイよくあるいつもの感じのやつね」と思ってしまったことも正直に申し上げておく。申し訳ない。
嫌厭してしまいがちな要素を多分に含む本でありながらも良書であると思えたのは、冒頭に述べた「己への問い」という一貫したメッセージ(軸)があったから。けれど、それはわたしがたまたまそう受け取っただけで人によって感銘を受ける部分は全然違うはず。そんなメッセージなくね?という人もいるだろうし、わたしは嫌厭しがち要素と言ったけど、その感動エピソードに感銘を受ける人もきっといるだろう。わたしも読んだときに特段自分への迷いなんてものがなかったら、なんとも思わなかったかもしれないどころか半目半笑いで読み過ごしてしまっていたかもしれないし。
この系統の本(スピリチュアル的なという意)をきちんと読むのは初めて。加えて、訳本を読むのが得意ではないわたしは読み切るのに大層時間がかかった(どうしても読みにくく感じてしまう)。読み切ってから結構な時間が経っていることもあるけれど、この読了メモを記録するにあたり「大体わたしなんでこの本を読もうと思った???」というそもそもの疑問が浮上。スピ系を嫌いではないのだけどイマイチ苦手としている自分が何故にこの本を買おうと思い至ったのか、そのきっかけを思い出すところから始まった今回の読了メモ一冊目。
きっかけは、そう。ゴーストハント(笑)(またかよどんだけハマってんだよと自分でも思っている。わかってる。)作中には超能力や霊能・霊媒他いろいろな特殊能力が登場し、その力それぞれに「出来ること」「出来ないこと」があり似ているようで別の力であり、、、等々能力について様々な説明を展開してくれる。ゴーストハントを読んで初めて、自分がそのような能力に対して驚くほど適当な見解見識しかもっていことを思い知らされ、大変興味深くもっと詳しく知りたいとその界隈の能力についてを検索したのがきっかけだった。
検索中、目に留まったのがこの本だった。著者「ジョン・ホランド」という人物の名前を耳にしたことがあったのも大きい。結局、この本で特殊な能力についてのアレコレを知ることは出来なかったし全くもってそのような内容の本でないどころかお門違いも甚だしかったわけだが(苦笑)最終的に読んでよかったと思えたのだから結果オーライである。(ちなみに、この本を買う時に迷った本がもう一冊。世界の超能力を辞典的にまとめた写真資料集みたいな本。そちらもかなり面白そうだった)
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◆大地16の神託 ジオマンシー占い:高橋桐矢
これは自分で選び取った本ではなく去年の夏にたまたま手にすることとなり、それからずっと本棚で眠っていた。ちょうど読む本が途切れて「なにかないか」と本棚を検めていたときに見つけた。「次々に新しい本を買い込むのもなんだし、久々に知らない占いに触れてみよう」と読み始めた本。
*ジオマンシー占いとは。
9世紀(日本は平安時代前期あたりらしい)にアラビア半島で生まれた古い占いで直訳すると「土占い」。元々、大地を棒で突いたり線を描くことによって運勢を読み解く占いであったことに由来する、とのこと(本文より)。かつては貴族から庶民まであらゆる階級の人々の間で大流行し、かのナポレオンもジオマンシー愛好者であったとかなんとか。
アラブ文化圏の占術ってことですけど、、、(唐突にツイステトーク挟みます。)これはカリムやジャミル、スカラビア寮生界隈の子らは普通に知ってそうだなと思ったらめちゃくちゃニヤニヤしてしまった。NRC(魔法学校の名称)生徒の中には「得意科目:占星術」なんて子もいるわけだから占いは普通のスキルなんだろうし。
話を戻して。
ジオマンシー占いは数年前に一度だけ鑑定を受けたことがある。その時は仕組みもなにも知らなかったから、目の前で並べられる石たちの様子がただただ不思議でたまらなくて「なぜそうなるんだ。。。ジオマンシー、謎すぎる、、、」と思ったのをよく覚えている。
この本を読んであのときの謎はすっかり解けた。スッキリ嬉しい。なにより、ジオマンシー面白い。始めたばかりの所感で大変恐縮なのだが、めちゃくちゃしっくりくる占術だと感じている。タロットよりも明解で的確かもしれない。絵柄や象徴から解釈を広げていくタロットに対してジオマンシーはシンボルが言葉そのものだからなのか、寄り道なくそのまま率直ストレートにバシッと突きつけられる感じ。なかなか辛辣かもしれない。オブラートがない。だが、それがいい。タロットも大概と思うけど(笑)超えてきたかと思った。ありのまますぎるから。ジオマンシー、ありのまますぎる。
本の中でジオマンシーは「とにかく当たる占いだ」と書かれている。そうかもしれないが、今のところ「あたる」「あたらない」を判断できるような質問の立て方をしていないので、当たるか当たらないかについてを述べることは出来ない。言えるのは、とてもシンプルで明解的確であるように感じたということ。
紙とペンさえあれば(ない場合でも地面が土で枝か石があれば)できる手軽さも気に入っている。屋上で気持ちよく過ごす仕事の昼休み時間、ふと思いついてはジオマンシーをやり都度ノートに記録してる(ほぼ毎日)。カードもなにも必要ないから思いついたときいつでもどこでも、それこそ会社でもできてしまう素晴らしさ。ボーテ!100点!!をつけずにはいられない。
シンプルでお手軽だけど「なにゆえ?」「なにが?」「どういうこと?」がまだまだ盛りだくさん。この一冊だけでなく他の書もいろいろと読み深めていきたい占術。
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これまでにちょこちょこ占ってみた結果のなかから面白かったエピソードを2つ。
*問1:悶々と考えている今後、ぐずぐずしている占いのあれこれ。これからの展開や活動についてなにかアドバイスください。
*回答シンボル:悲しみ
まず「ガーン」の一言。吉凶でいえば凶なわけなので。「悲しみ」についてのページを開けば「受難・不幸」「人生の落とし穴」「全16シンボルの中で最も残念なシンボル」とまあシンプルに散々な解説が続く。笑い項垂れながら読み進めていたら。このシンボルには例外として特別な意味があり、魔術や占いに関することその場合においてのみ吉。的なことが解説の最後に書かれていた。ちなみに、開運の鍵は十字架・魔術・占いだそうだ。まんまじゃないか。
びっくりしちゃった。占いについて占って回答が占い(しかも例外)なんだから。ピンポイントすぎ。
自分の感想記録ノートを読み返すと「応援・エールと思えなくもないけど、というよりもっともっと勉強して活動するならして、それでなんとか道を切り開いていけよってことかな、、、あー」と書かれてた(笑)ウケる。
例外と言われてうっかり手放しで喜んでしまいそうだけど、そもそものシンボルは「悲しみ」であることにかわりはないから何事もなく好調に上手くいくなんて話ではなくて、困難であるしそれは当然でそれも経験成長の糧にしろよってのがまず大前提ですよねそっすよね(^ω^)と、浮かれるなと解釈を着地させてみる。
「悲しみ」のシンボルの形は杭にも喩えられている。「占いという杭を自分に打ち込む??」とか考えて「こっわ...!」と戦慄したけど、現状フワフワふらついてい覚束ない足元をとりあえず杭を刺すことで固定安定させるのじゃ、と思えなくもないのかもしれない。
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*問2:あまりにしんどいから話し相手になってください。
*回答シンボル:人々
感想記録ノートを見ながら「なんじゃ?この問www」と思わず過去の自分に突っ込んだけど、このときはキツかったんだろう。きっとそうだろう。なんだか頭と心がグチャグチャしたり孤独を感じたり、だけどその心の内を誰かに打ち明けるつもりはなく。そんなときは無機物に話しかける。とても一方的に。その相手がこのときはジオマンシーだっただけ。(そしてそれは結局自分への問いになる。やまびこ。)
普段は感じることのない孤独の辛さをふいに感じてしまったときに出たこのシンボルには、それはそれは励まされ思わずフッと身体の力が抜けた。シンプルに感動した。ノートには、これについての自分的解釈はほぼ書かれておらず「受動の極限を意味する」という本文から抜き取った一文だけが書かれていた。想像するに「周囲を見渡せば差し出された手や掛けられた声はたくさんあったのでは?見方、感じ方、受け取り方を変える。そう、結局は自分の問題。」と思ったんじゃないかなぁ。多分。
まあ、「話し相手になって」と問うて「人々」が出るんだから、シンボルの回答としてはシンプルに「ええよ。ここにおるで。」ってだけのことなのかもしれないけど。
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気分転換にお出掛けするにも、ちょっと遠出したいなと思っても、世情もろもろが常に頭をチラついて、思いっきり存分に全力イエーーーイ!!!できないのがもう地味にストレス。GOTOなんちゃらなんてものも始まっているし、別になにを気にすることもなく予防対策して楽しむ分には咎められることもないんだろうってのにね。ずーーーーーーーーーーーーっと憑いてまわるじゃん。ヤツが。例のヤロウが。お葬式にすらどうしよう?帰省していいの???なんてこと考えちゃう考えなきゃいけないんだからもうどうかしてるだろ。もはや呪いをかけられたようだよ。
悪霊たいさ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん!!!
おわり。
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